2002/05/31(Fri)
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ご利用の方は、どうぞ、コピ-なり、加工なりして、ご自由に編集し御活用下さい。

①産土さま(うぶすなさま)
②七福神
③天照大御神(あまてらすおおみかみ、お伊勢さん)
④お稲荷さん(おいなりさん)
⑤八幡さま(はちまんさま)
⑥庚申さま(こうしんさま)
⑦山の神
⑧大国主神(おおくにぬしのかみ)
⑨須佐之男神(すさのおのかみ)
⑩天神さま(てんじんさま)
⑪火の神々
⑫白山神(はくさんさま)
⑬熊野権現(くまのごんげん)
⑭日吉神(ひえさま)
⑮賀茂神(かもさま)
⑯鹿島神(かしまさま)
⑰不動明王(おふどうさま)
⑱蔵王権現(ざおうごんげん)

ここの時点では、⑬熊野権現(くまのごんげん) までの打ち込みを終えています。
 道開き at 2002/05/31(Fri) 17:45 
2002/05/31(Fri)
●「山」-神聖なる“場”
我が国では古くから、山が神霊の降臨(こうりん)される処、又は、神々の棲まわれる聖地として崇められてきました。現在でも日本を訪れる外国人は、自然、特に山に対する信仰が生きている事に強い印象を受けるといいます。

① 山頂には、「磐座(いわくら)」と呼ばれる巨大な岩石が祀られ、神々が憑(かか)られる“ご神体”として、祭りが行われてきました。やがて、時代がさがる と山麓に社殿を造り、山の神をお祀りするようにもなりました。これを神奈備山(かんなびやま)信仰といい、山そのものを神と仰ぐのです。

②さらに山は、農業にとって最も重要な水を供給してくれる、水源を支配する“水分神(みくまりのかみ)”と見なされ、「農業の神」、「豊饒(ほうじょう)の神」、「福の神」とされました。

③山は、「死者の霊魂が帰っていく場所」ともされて来ました。つまり、山が「死者の棲み家(すみか)」、或いは「死者の国への通路」と考えられたのです。

④ こうした「日本古来の山岳信仰」と、大陸から伝わってきた深山を聖地とする「道教」、そして、仏教の「密教(みっきょう)」が融合されたところに「修験道 (しゅげんどう)」も生まれました。やがて、数多くの山々が霊山として、諸神諸仏、祖霊が棲まわれる聖域となったのでした。


●“日本の原郷”・熊野
太古の面影を今もなほそのままに残しつつ、ただひっそりと神々たちの息づくところがあります。それが熊野です。現在の和歌山県、かつては「紀(き)の国」 と呼ばれ、つまり常緑の樹木が鬱蒼と茂った「木の国」に位置します。熊野の「くま」は「カム(神)」であり、熊野とは「神々の住まう聖なる地域」を意味し ます。
熊野では、川の神、海の神、山の神、日の神、そして、火、石、水、木の神といったように、もっとも素朴で根元的な様々な神祀りが行われて おり、日本民族の信仰の古層を幾重にも濃厚に残しています。熊野と「縄文時代」の信仰を結びつける学者も非常に多い。だからこそ、、熊野は“日本の原郷” と呼ばれたりもしています。
すぐそばを世界最大の黒潮・日本海流が流れ、その海流に乗って伝わったとされる、遠くはインドなどの大陸からの文化、信仰の名残も見られると言います。


●熊野大社(熊野三山)
◎熊野本宮――家津御子(けつみこ)神=スサノオ
創 祀は崇神(すじん)天皇の六十五年(BC33)奉斎したのは天孫ニニギの命(みこと)の兄にあたる饒速日命(にぎはやひのみこと)の子孫とされる熊野国造 (こくぞう)家、つまり物部(もののべ)系の家筋である。よって古代の熊野には日神信仰もあり、初代神武天皇を熊野から大和に導いた熊野大神の神使・“八 咫烏(三足烏)”〈やたがらす〉は太陽に住んでいるとされます。

◎熊野速玉(新宮〈しんぐう〉)――速玉之男(はやたまのお)神
創祀は景行(けいこう)天皇の五十八年(一世紀頃)。神武天皇が熊野灘(なだ)から上陸したとき、突然現れた大きな熊の毒気にあてられ、多くの軍勢が倒れ たという熊野神邑(くまののかみむら)とはこの熊野川口地域のこと。近くには蓬莱山(ほうらいさん)があり、秦の始皇帝の命によって日本に来たという除福 (じょふく)伝説の発祥の地でもある。

◎熊野那智(なち)――熊野夫須美(くまのふすみ)神
仁徳朝の創祀と伝えられる(三世紀 頃)。那智はサンスクリット語の“河・江”の意。那智山から発する大滝を御神体とした飛瀧(ひろう)神社から今日のような立派な社殿が建立された。「夫須 美(ふすみ)」は「むすび」、すなわち「産霊(むすび)」の義。よって御祭神も多くの島々や神々を産んだイザナミ神と同神とされる。
イザナミ神は火の神カグツチを産み、その時の火傷によって黄泉(よみ)の国に赴くこととなった。そのイザナミ神を葬り祀ったのが、同じ熊野の有馬村に鎮座する日本最古の神社とされる“花の窟(いわや)神社”であるという。


●修験道
日 本古来の原始山岳信仰と、②大陸より伝わった深山を聖地とする神仙思想の道教と、③仏教でも特に神秘性の強い密教とが融合して出来上がった呪術的実践宗 教、それが修験道です。始祖とされるのは七世紀の飛鳥時代の人で、役行者(えんのぎょうじゃ)の呼び名で知られる役君小角(えんのきみおづぬ)とされま す。『日本霊異記』、『今昔物語』、『三宝絵詞(さんぽうえことば)』にその伝説が記載されています。
役行者を始め、多くの山林修行者たちは“ 金の御嶽(かねのみたけ)”と呼ばれた奈良の吉野の金峰山(きんぶせん)を中心に修行をおこない、やがて隣接する紀州の熊野にまで修行の場が広がりまし た。平安時代頃には吉野・熊野に渡る大峯(おおみね)山系一帯が修験道の一大拠点となっていったのでした。
これらの山岳修行者たちは、山で得た 験力(げんりき)をもとに里に下り、加持祈祷(かじきとう)を行い、その効力あらたかなるところから篤い信仰を集めました。彼らは、山の霊なる力を修行の 験(あかし)として現せたところから、“修験者”、あるいは山で寝起きすることから“山伏(やまぶし)”と呼ばれました。やがて、彼らを通じて修験道が全 国に広がっていったのでした。

※当山派(とうざんは)-真言系、吉野の金峰山(きんぶせん)に拠点を置く一派。
本山派(ほんざんは)-天台系、熊野三山を拠点とする一派。

★神仏習合による三社-三山の関係 
(神社)      〈御祭神〉          (本地仏)
本宮(ほんぐう)  家津御子(けつみこ)神     阿弥陀如来(あみだにょらい)
新宮(しんぐう)  速玉之男(はやたまのお)神   薬師如来(やくしにょらい)
那智(なち)    熊野夫須美(くまのふすみ)神  千手観音(せんじゅかんのん)
 道開き at 2002/05/31(Fri) 17:40 
2002/05/31(Fri)
●白山連峰
山頂に冠のように輝く雪をいただいて、遠く連なる白山連峰。御前峰(ごぜんぽう)を主峰とし、大汝峰(おおなんじみね)、剣ヶ峰(け んがみね)からなり、山頂には奥宮が鎮座します。この奥宮は、白山本宮(はくさんほんぐう)、白山妙理権現(はくさんみょうりごんげん)、禅定本宮(ぜん じょうほんぐう)などと呼ばれていました。そして、その山頂の奥宮を目指すようにして“馬場(ばんば)”と呼ばれる三つの登拝口(とはいぐち)が加賀、越 前、美濃にあり、それぞれに神社が祀られています。

◎加賀馬場(石川県)     白山比咩(しらやまひめ)神社
全国三千の白山神社の総本宮。中世は延暦寺(えんりゃくじ)の管理下にあり、衆徒三千人が住したという。

◎越前馬場(福井県)     白山神社
もとは平泉寺(へいせんじ)といい、白山修験の中心であった。現在でも、毎夏、曹洞宗・大本山の永平寺(えいへいじ)の雲水(うんすい)らがこの馬場から集団登拝している。

◎美濃馬場(岐阜県)     白山中居神社
かつては白山本地中宮(はくさんほんじなかみや)と称した。

※開山したのは越前の行者・泰澄(たいちょう)であるが、三方の登山口を開いたのは園城寺(おんじょうじ)の僧・宗叡(しゅうえい)である。


●主祭神・白山比咩(しらやまひめの)大神  
主祭神は白山比咩大神〈菊理姫神(くくりひめのかみ)〉。他にも、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)の二柱(ふたはしら)の神々を祀っている。白山比咩神社の「比咩(ひめ)」は「姫」、つまり白山菊理媛(くくりひめ)のことです。

◆「埋没神(まいぼつしん)」・菊理媛の謎
古くから多くの人たちの信仰を集めてきた“ククリヒメ”は、神典『古事記』には全く登場せず、『日本書紀』の「一書(あるふみ)」に一カ所登場するだけで す。すなわち、イザナギの冥界(黄泉国〈よみのくに〉)訪問伝承において、イザナギ神がイザナミ神と黄泉比良坂(よもつひらさか)で争った際に、黄泉守道 者(よもつもりみちひと)という黄泉国に通じる道の番人と共に現れ、ナギ・ナミ二神の争いをやめさせた神として登場するばかりです。
その部分を引用すると、
「是(これ)の時に、菊理媛神、亦(また)白(もう)す事有り。イザナギの命(みこと)聞しめして、善(ほ)めたまひて乃ち(すなわち)散去(あらけ)ましぬ」
であり、何を囁いたのかその内容については、全く伝わっていません。
菊理媛は古代において、託宣(口寄せ)を行った巫女の祖ではないかという見方もされています。日本の民俗信仰においては、山は死者の帰る他界と考えられております。それらの山の神や祖霊の言葉を取り次ぐための巫女の活動は、古代より存在していました。
菊理媛が囁いた黄泉比良坂(よもつひらさか)とは、この世とあの世の接点とも考えられます。

◆白山信仰の広がりの謎 
なぜに、謎の多い「埋没神」菊理媛を御祭神とする白山信仰が、全国的な拡がりを見せたのか、そして、どのような経路で広がったものなのかもまた不明です。
古代朝鮮の“白山部(はくさんぶ)”という支族の白頭山(はくとうさん)〈=太白山(たいはくさん)〉信仰が、海を越えて伝わり、日本古来のシャ-マニズムと習合して全国的な広がりを見せたという説もあります。


●“白山”修験道
白山修験道の開祖・泰澄(たいちょう)は、白鳳十一年(682年)、越前国に生まれました。両親とも帰化系であったといいます。十四歳で十一面観音の霊夢 を見て以来、夜毎に家を出て、白山に面した越知山(おちさん)で修行を重ね、呪文(じゅもん)によって石を飛ばしたり、自分自身も自由に飛行したという逸 話が伝わっています。修験道の元祖・役行者(えんのぎょうじゃ)に匹敵するほどの超人的能力の持ち主だったようです。役行者が前鬼(ぜんき)と後鬼(ご き)を従えていたように、泰澄にも臥(ふせり)行者と浄定(じょうじょう)行者という弟子たち〈護法童子(ごほうどうじ)〉がいました。
その泰 澄三十六歳の養老元年(717年)、夢枕に白山の神であるという女神が立ち、その導きによって白山の初登頂に成功したといいます。ちなみに、この女神は“ 妙理大菩薩(みょうりだいぼさつ)“といい、もとは“イザナミ神”だったといいます。そして、火口湖の一つである翠ヶ池(みどりがいけ)で祈っていると、 池の中から“九頭竜王(くずりゅうおう)”が現れ、それを見た泰澄が、本地(ほんじ)の姿で現れるようにいうと、“十一面観音”が出現したといいます。こ うしたことから、白山比咩(しらやまひめの)大神の本体はイザナミ神にして、かつ十一面観音であるということになります。〈神仏習合〉ただし、現在は、白 山比咩大神(菊理媛)、イザナギの神、イザナミの神の三柱の神が祀られています。
また、白山は三峰を有しますが、それぞれの山に泰澄は、十一面 観音、聖(しょう)観音、阿弥陀如来(あみだにょらい)を感得したといいます。それらはやがて、白山信仰の三体の本地仏(ほんじぶつ)として崇敬されるよ うになるのですが、その白山修験の基礎は、透徹した霊眼の持ち主だった泰澄が築いたものなのです。
 道開き at 2002/05/31(Fri) 17:40 
2002/05/25(Sat)
以下の順で書き込みを行っています。
ご利用の方は、どうぞ、コピ-なり、加工なりして、ご自由に編集し御活用下さい。

①産土さま(うぶすなさま)
②七福神
③天照大御神(あまてらすおおみかみ、お伊勢さん)
④お稲荷さん(おいなりさん)
⑤八幡さま(はちまんさま)
⑥庚申さま(こうしんさま)
⑦山の神
⑧大国主神(おおくにぬしのかみ)
⑨須佐之男神(すさのおのかみ)
⑩天神さま(てんじんさま)
⑪火の神々
⑫白山神(はくさんさま)
⑬熊野権現(くまのごんげん)
⑭日吉神(ひえさま)
⑮賀茂神(かもさま)
⑯鹿島神(かしまさま)
⑰不動明王(おふどうさま)
⑱蔵王権現(ざおうごんげん)

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 道開き at 2002/05/25(Sat) 16:55 
2002/05/25(Sat)
●“火” -その秘められた不思議な力-
古今東西を問わず、およそ宗教といわれるもので、火を崇拝の対象としたり、崇拝の対象にしないまでも、 何らかのかたちで、教義なり儀式なりに取り入れていないものなど、まず、無いと言っても過言ではないでしょう。それ程までに、火は神聖なものであり、神秘 的なものとされてきたのです。
ペルシァのゾロアスタ-教(拝火〈はいか〉教)などはそれが特に顕著ですし、インドのバラモン教に端を発する密教 や修験道の修法“護摩(ごま、ホ-マ)”は、火の仲立ちによって仏と交信し、特に護摩の「本尊(ほんぞん)」とされる不動明王に火をもって供物を捧げ、煩 悩の一切を焼き尽くすとされるその力により、「厄災消除(やくさいしょうじょ)」、「心願成就(しんがんじょうじゅ)」を祈る儀式であることは広く我々に も知られているところのものであります。

仏教伝来以前の我が国においても、やはり、火を神として祀り、尊いものとして敬う信仰がありま した。お祭りには“燎(かがりび)”を焚き、御神前には“灯明(とうみょう)”をともします。現在では仏教の盆の行事になってしまいましたが、古くから行 われて来ました“霊(タマ)まつり”の、先祖代々の祖霊を迎えて送る「神迎え(かみむかえ)」、「神送り」の儀式といったように、あげれば切りがありませ ん。
出雲大社において、代々の国造(くにのみやっこ)の継承に当たって行われてきた「火継神事(ひつぎしんじ)」などは、火(ひ)を引き継ぐことによって霊(ヒ)を引き継ぐ、つまり、火によって霊統を引き継ぐ儀式が、宮司職の世襲に当たって、現在でも連綿と行われています。


●火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)・火産霊神(ほむすびのかみ)
イザナギの神・イザナミの神二神が次々に神々を生んで、最後に生み出したのがこの“火の神”・火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)、又の名を火産霊神(ほ むすびのかみ)、火之夜芸速男神(ほのやぎはやおのかみ)ともいう。女神・イザナミ神はそのために御陰(みほと)を焼かれて「黄泉(よみ)の国」へと神去 られた。 
おのれの出産のために母神を殺す結果となり、またそれにより父神に十拳剣(とつかのつるぎ)で首をはねられるというまことに悲劇的な 神ではあるが、それがそんなに悲惨な印象を受けないのは、このことによって、新しい神、それも大変に重要な役目を持った神々が次々に生まれ、飛び出してき たからである。

★生まれ出た神々の御名
・火傷(やけど)して苦しみながらイザナミの神の吐(は)いた吐瀉物(としゃぶつ)からは「鉱山や金物の神」である“金山毘古(かなやまひこ)神”、“金山毘売(かなやまひめ)神”が生まれました。

・糞(くそ)からは「粘土(ねばつち)の神格化で土器をも意味」する“波邇夜須毘古(はにやすびこ)神”、“波邇夜須毘売(はにやすひめ)神”が生まれました。

・ 尿からは“彌都波能売(みつはのめ)神”、“和久産巣日(わくむすび)神”が生まれた。「灌漑(かんがい)用水の神」そして「若々しい生産の神」です。和 久産巣日神の子が伊勢神宮外宮の祭神“豊宇気毘売(とようけひめ)神”で、天照大御神の食事を整える「御饌津神(みけつかみ)」である。

※これらの神々は“冶金(じがね)”、“窯業(ようぎょう)”、“農業”等における火の効用が暗示されている。

火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)の首を斬った刀の血からも、死体の各部からも、多くの神々が生まれました。

・まず刀の切っ先についた血から、“石搾神(いわさくのかみ)”、“根搾神(ねさくのかみ)”が生まれました。「岩石や根を裂くほどの威力ある神」です。次の“石筒之男神(いわつつのおのかみ)”も「岩石の神」です。

・刀のもとについた血から、“甕速日神(みかはやひのかみ)”、“樋速日神(ひはやひのかみ)”が生まれる。これは「火の根源である太陽を称えた神名です。

・次に、高天原第一の剛力の持ち主、“建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)”が生まれます。有名な出雲神話の「国譲り」のときに、抵抗した大国主神の子の“建御名方神(たけみなかたのかみ)”を屈服させた神です。その名は「勇猛な雷の男神」の意です。

・ さらに刀の柄(え)についた血からは、“闇淤加美神(くらおかみのかみ)”、“闇御津羽神(くらみつはのかみ)”。この二神は「谷の水をつかさどる神」 で、「雨水を調節し、国土を潤し、草木の生育とすべての生き物の食料を豊に繁茂させる神」で、「竜神(りゅうじん)」であるともされています。

※ 以上の八神は、刀剣の出来上がる様、つまり、鉄鉱を火で焼いて鍛え、できた刀剣を谷間の霊水につけて焼きを入れるさまを表したものではないかと考えられます。火の神の血が飛び散る様は、あたかも鉄を鍛えるときの火の粉を連想させます。

・火の神の頭、胸、腹、陰所、左右の手、左右の足に、“正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)”以下「八柱の山津見神」が化生しました。

※「火の神」の体から種々の「山の神」が化生する話は火山の爆発を意味し、血から「岩石の神」、「雷の神」、「水の神」などが化生する話も、火山の噴火を物語っているようです。


●愛宕(あたご)神社
京都は嵯峨(さが)の愛宕町にある愛宕神社は、“火伏せの神”として全国的に信仰されています。かつては“愛宕大権現(あたごだいごんげん)”の名で親し まれました。御祭神は“火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)”。もともとは山城と丹波との国境に鎮座し、「塞(さえ)の神」(禍をさえぎる境界の神さま) として信仰されました。よって、比叡山(ひえいざん)に相対して京都の西北(乾〈いぬい〉)の方向にそびえる愛宕山に遷座され、「都を火災から守る王城鎮 護の神」となりました。
“塞の神”であった為に、地蔵菩薩(じぞうぼさつ、お地蔵さん)信仰と結びつき、神仏習合のなか、多くの修験者たちが、“愛宕山伏”として諸国を遊行して、「火伏せの神」として愛宕信仰を全国に広めました。


●秋葉(あきば)神社
静岡県周智郡春野町にある秋葉神社が本社で、御祭神にはやはり“火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)”祀り、江戸時代には、遠く関東地方からも秋葉参りの人々が訪れ、「火伏せ、厄除け(やくよけ)の神」として信仰されてきました。


●三宝荒神(さんぽうこうじん)
家の神の中で、「竈(かまど)神」に対する信仰はきわめて篤いものがありました。この神さまは、別名「オカマさま」といったり、「荒神さま」といったりしますが、この「荒神さま」が一般にはよく知られています。
荒神さまとは、その名の通り、荒々しい火の神さまで、激しい験力(げんりき)を持つ神と信じられ、火伏せの力があることから、竈(かまど)の近くに祀られ ました。“三宝荒神”というのは「如来荒神、鹿乱荒神、忿怒荒神」の三身を持っているからで、仏典に根拠があるようですが、仏教とはまったく縁のない神さ まです。
荒神さまは、とにかく霊力の強い神さまだからというので、「荒神墨(すみ)」と呼ばれる竈のスミを子供の額(ひたい)に塗っておけば魔 除けになるとされてきました。毎月晦日(みそか)の祭には、「荒神棚(たな)」を清めて、胡粉をまぶした松の小枝を供える習わしがあり、これを「荒神松」 と呼びました。また、竈を掃除する箒(ほうき)を「荒神箒」といって、普通の箒とは区別して神聖視します。
荒神はまた、地神(じがみ)、氏神(うじがみ)とも考えられて一族で祀っている場合も多くあります。
 道開き at 2002/05/25(Sat) 16:55